観念とは



前回、観念が変わると執着していることが、意味がないものになるという事を書きました。

今回は観念についてもう少し触れます。

観念というと、哲学的でなんだか難しく聞こえるかもしれません。

ここで言う観念とは、もっと簡単に言うと、「物事に対する見方、または、考え方」のことです。

固定観念


固定観念と言えば、よりなじみ深いのではないでしょうか。

「固定観念とは何?」と聞かれたら、あなたはどう答えますか?

ある対象についての特定の見方、考え方だとも言えるでしょう。

「そうあるべき」とか、「そういうものだ」とか、「そうに決まっている」とかいう固まった物の見方とも言えますよね。

例えば、「男はこうあるべき」とか、「女はこうあるべき」とか。

そういう固定観念は、一般的には自分が育った環境や、社会、親、友人の影響を受けて形成されます。

生まれ育った国や環境が違えば、物の見方、考え方も違いますよね。

観念はあなたが見る世界


ただ「観念」というとき、私たちはもっと大きな範囲での見方、考え方のことを言います。

あなたの観念は、あなたの世界に対する見方、考え方なのです。

あなたの観念が、あなたの見ている世界を決めているのです。

別な言い方をすると、あなたは世界をあなたの観念を通して見ているのです。あなたの観念と言うフィルターを通して。

あなたが赤ちゃんの時は、まっさらだった観念は、あなたが育った環境、社会、親、友人、尊敬する人、あこがれる人、そして、文化やメディアなどの影響を受けてつくられていき、今の形へとなったのです。

あなたと他の人が同じものを見ても、受け取り方が違うのは、あなたと他の人の観念の違いによると説明する事もできます。

観念 = 限られた世界


観念はあなたの見方、考え方、ひいては、行動を抑制します。

ここで、あなたの見ている世界は、あなたの観念が認識している世界に限られているという事がお分かり頂けると思います。

あなたの今の観念が、今あなたが認識している世界を限られたものにしているということです。

今のあなたの観念で見ることのできるもの、考えることのできることは限られているという事になりますよね。

これは、全ての人に当てはまります。しかし、観念が認識する世界の大きさには人それぞれ差があると思われます。

観念 = 幻想


あなたの見る世界はあなたの観念がみる幻想であるという考えもあります。

観念があなたの見るものを判断し、あなたにとってどういう意味があるのかを決めています。

例を挙げると、多くの人にとって鉛筆は「鉛筆」以外の何物でもないでしょう。

おそらく、あなたは鉛筆を字を書く道具と捉えているのではないでしょうか。

しかし、鉛筆が字を書くものだという観念が無ければ、よくわからない木となまりの物質と捉えるかも知れませんし、木となまりというものを知らなければ、棒状の物質と捉えるだけかも知れません。

あなたの観念がその物質に「鉛筆」という意味を与えているのです。それは、絶対的なその物自体の性質とは異なるかもしれないのです。

これは、鉛筆だけでなく、あなたがみるものすべてに言えることです。

あなたの過去の経験と記憶がその存在に意味を与えて解釈しているのです。

それは、その物自体の性質、すなわち、本質とはかけ離れた解釈かもしれません。

その解釈は、あなたの観念がつくった幻想であり、本質は違っているかもしれないのです。

観念はどこにある?


では、あなたの観念はどこにあるのでしょうか?

観念はあなたの世界の見方、考え方なので、あなたの中にあります。

ということは、あなたの見ている世界はあなたの中にあるのです。

普段あなたが、外の世界と認識しているものは、あなたの中にある観念がとらえた世界なのです。

観念が変わると世界が変わる


あなたの外で起こっている事も、あなたの観念次第で、違う見方をすることもできるのです。

あなたの観念に変化が起こると、あなたの世界が変わります。

あなたが今の観念を超えれば、すなわち、観念の範囲が広がれば、視野も広がり、より多くの気づきがあったり、価値観も変わったり、今、執着していることが意味のないものになったり、新しいことに価値や意味を見出せるようになったり、許せない物が許せるようになったりということが起こります。