プライドはいらない、それとも、プライドは持つべき?


プライドは邪魔になるだけなので捨てたほうがいいでしょうか?それとも、自信やモチベーションにもなるのであった方がいいでしょうか?あなたにとって、プライドとは一体何なのか考えたことありますか?

プライドとは何?


プライドと言う言葉は、団体の名前や、映画やドラマのタイトル、曲名など色々なところで使われていますよね。そういう場合、プライドは美学的なかっこいいイメージで捉えられています。人はそこに、強さ、誇り、野心、そして、競争心などを見出しているのではないでしょうか?

プライドをかけて戦うとか、何かを成し遂げるといった、行動の原動力と取る人もいますよね。また、高いプライドのせいで素直になれずに行動を妨げてしまう厄介なものと言う取り方もあります。

あなたにとって、プライドとは何ですか?自分が積み重ねてきた努力の成果?守るべきもの?何かに対するこだわり?メンツ?それとも、自分の存在の支え?プライドは、あなたを気持ちよくさせますか、それとも、疲れさせますか?

プライドは、自尊心や自負心と一般的には理解されています。英語のPrideには、これらに加えて、自慢、うぬぼれ、思い上がり、という解釈もあります。これらは、多かれ少なかれ誰にでもあるものだと言えるでしょう。

これらは全て、他者との関係において起こります。他人の存在、および、他人が自分をどう見ているのかを気にしていなければ、これらのどれも、心に抱くことはありません。プライドが問題となり悩みとなるのは、他者との関係においてなのです。

自尊心や自負心は、社会においての自分という存在に自信を持つという意味では好ましいとされていますが、他人に誇示する必要はないのです。プライドは、その人の社会的地位と他者との関係に大きく依存しています。プライドは、脅かされる恐れに対して過剰に反応し、対人関係の問題となって現れます。

プライドが高い人の特徴


プライドが高い人には、頑張り屋や勉強家の優等生が多く、自分が今までやってきたことに対する自負があります。だから、社会でそれなりの地位にいることが多いです。プライドが高すぎないうちは、周りからも認められて、頼りにされる素質も持っています。

地位と名声を得て天狗になってプライドが肥大すると、執着心が出てその状態から抜け出すのは困難になります。一種の中毒状態、または、依存状態であると言えます。周りにこういうタイプの人がいるという方も多いかと思います。

以下は、プライドが肥大した人の特徴です。


  • 自分が他人より優れていると思っている
  • 特別扱いされて当たり前だと思っている
  • 自慢好き
  • 自分にしか興味が無い
  • 頑固で素直でない
  • 人の言う事に聞く耳を持たない
  • 自分のやり方と意見を押し通す
  • 否定されると怒る
  • 現状に対する執着心がすごい
  • 口達者で口論が得意
  • 保守的で攻撃的である
  • 勝ち負けを気にする
  • 自分のメンツを大事にする
  • 人の言うことを疑う
  • 完璧主義である
  • 理想や理論に執着しすぎて、現実的でない
  • くどい
  • 説教好き
  • 人に教えるのが好き
  • 自分に持ってない物を持っている人を妬む
  • 人をバカにするところがある


この手の人は、周りの人を疲れさせます。他人を認めないので、敵も多いです。多くの人は、対人関係で自分が問題を起していることに気がついていません。自分ではなく、他人が問題を起していると思っており、「何故、自分の言っていることがわからないのだろう」と疑問に思っていたりします。そして、結果、周りの人たちは愛想をつかして離れていくことになります。

プライドは自我の執着


プライドは自我(エゴ)の産物です。プライドが高いと自己中心的になり、他者との関係の中で自分と自分の考えを重要なものとして扱わせようと必死になります。

プライドは、他者の評価の上に成り立ちます。他人の評価を求め、評価されないと機嫌を損ね、評価されると益々助長するのがプライドです。

プライドは、現状と自己への執着の上に形成されます。よって、今の自分を否定されたり、攻撃されると、プライドを守るために過剰反応します。プライドは、強さのイメージがある反面、実は、傷つけられることを恐れる、もろい存在であるのです。

プライドが行動の原動力となっている状態において、頑張れたり、目標が達成できたりするのも確かです。しかし、達成によって、プライドは更に膨張します。自分の力でやったと、鼻高々になり、更に他人の評価を求めて、自分は特別に扱われる存在と信じて横行な態度をとり兼ねません。

プライドに取りつかれている人は、他人に敬われることに貪欲です。他人に重要視され、努力を認められ、崇められるという自分像に執着しているのです。こうなると、うざたがれ、人が遠ざかっていきます。

プライドの裏には劣等感や自己不信?

プライドは不要なものでしょうか?それとも、持つべきものでしょうか?その答えはあなたが出してください。

プライドを持つに至る過程で、劣等感や自己不信を乗り越えて来たという人もいるかもしれません。プライドの奥で、劣等感や自己不信が潜在的にあるという状況もあるかもしれません。

これらとは別に、劣等感や自己不信から、自分を隠そうとするあまりに、プライドが高いと思われる行動を自己防衛の為に取る場合もあります。実質がともなわないのに自分を大きく見せようとする虚栄心も、劣等感と自信のなさが根底にあります。

こういう人の特徴は、ええかっこしいで、人にどう見られているかを気にしたり、人に対してリラックスできずに構えた態度を取ったり、過度に緊張したり、恥をかくことを異常に恐れたり、人に頼れなかったりします。

この場合、上記のプライドが肥大した状態とは違い、本当の自分の身の程を心ではわかっており、そういう自分に嫌悪感を抱いたり、直したいと切望している状態にありますので、変わることは可能です。

こういう場合は、“かっこわるい自分”を人に見せたくない為、自分から人を遠ざけます。本当は、“かっこわるい”と思っているのは自分だけで、人からしたらどうでもいいことだったりします。そこから抜けだすには、他人の評価から解放される(記事リンク)ことが必要でしょう。

また、自分の役割を認めて受け入れて、役目を務めることが出来るようになると、偽りの自分をつくる必要もなくなるでしょう。このことについて詳しくは、こちらの記事、“人それぞれ役割と都合があることを認める”をご覧ください。

写真出展: creativity103.com