主観と客観の違いは何?


よく、ものごとに対するとらえ方や意見に対して、主観的とか客観的とか言うけど、何が主観的で何が客観的なのかあいまいで、いまいちよくわからないと思いませんか?これらは、対峙するもののようにもとられますが、反対の意味を持つわけでもありません。

客観的に捉えることが良くて、主観的はダメみたいなことも言われたりします。自分のいる状況を、自分の思考や感情から離れた視点から見るという意味で、客観視することはとても役立ちますが、主観は常に存在しているものでダメと切り捨てることは出来ません。

主観


主観は個人の自由意思によるものの見方です。外の世界での客観的認識がどうであれ、本人の中では真実として受け止めていることは、主観的であると言います。主観的なこととは、私たちの思考の中では真実であるけれど、外の世界では違うかもしれないことです。

主観的意見というと、一般的には、個人の好みや感じたことによる、それを裏付ける事実を伴わない意見の事を指します。

広辞苑は、主観を「対象の認識を構成する自我であり、実践的機動性と自由の基体でもある」と言っています。なんだか難しく聞こえますが、あなたの自我がつくり出したものが、あなたが認識しているもの、すなわち、主観的に捉えているものであり、それは、あなたに実際に行動を起こさせる基礎となるものであり、あなたの自由(意志)の基礎となるものでもあるという様に私は理解します。

客観


客観は、自分の好みや偏見を介さないものの見方です。ありのままに、公平に状況を見ることとも理解されています。個人的にどう思うかに関係なく常に公然の事実であることを、客観的な真実であると、私たちは理解しています。私たち個人の存在と思考に関係なく、常に真実として存在することに対して使います。

私たちは、客観的意見という時、一般的に、根拠のある事実に裏付けされた意見、当事者の感情を超えた第三者的な公平な意見、または、社会に認められていて論理的に納得できる意見のことを指します。

ちなみに、広辞苑は、客観を「主観の認識および行動の対象となるもの」と言っています。これは、あなたは客観的に見たものやことを、主観的に認識し、行動すると言うことです。すなわち、あなたの自我は、偏見を介さない“客観的な”事実にもとづいて、自由意思で“主観的な”認識をして、判断および行動すると言っているのです。

論理的な説明には客観性が求められます。ここで言う客観性とは、自分一人の個人的な意見ではなく、それを裏付ける証拠、もしくは、多くの人に事実、または、常識として認知される情報という事です。個人の主観的見解だけでは、論理的ではないと言うわけです。

間主観


間主観は相互主観とも言われます。二人以上のグループ間において主観を共有することで、グループの間で周知の事実として扱われ、常識となる意見や現象を間主観的であると言います。大きなグループにおいて間主観的なことは、そのうちに客観的なこととして扱わたりします。

流行のファッションや髪型などは、間主観を当てはめて説明することが出来ます。誰かが主観的にいいと思ったものが、多くの人の賛同を受けて、そのうち常識になるのですから、流行りの現象は間主観的であり、相互主観的であると言うことができます。

全ては主観?


主観が全てであり、客観はないという見方もあります。あなたの見ている世界はあなたの中にあるという考えも、あなたが全ての創造主であるという考えも、全ては主観であるという捉え方をサポートするものです。

客観も結局は主観の一部であると言う捉え方もあります。これは、私たちが客観的であると判断するのも、各々の主観による判断であることを考えると納得がいくのではないでしょうか?私たちの主観が、ものごとを客観的に捉えるという作業をしているのです。

あなたが客観的な事実と思う事も、誰かの主観的意見であったり、あるグループの主観的意見だったりします。これは、上で述べた、間主観であるとも言えます。有名人が言ったこと、科学の権威が言ったこと、テレビで放映されたことなどが、後に多くの人の客観的事実として認知されることが多々あります。たくさんの人から聞いたことが一致すれば、あなたはそれを客観的であるとみなします。

以上の様に、主観と客観の境というのはあいまいで、人それぞれ捉え方が違ったりします。多くの人から客観的に見ておかしいことも、一部の人にはおかしくないのです。客観的とすることも、結局は主観的判断によるので、こういうことが起こるのです。

こう考えると、何が主観的で何が客観的なのか区別がつかなくなります。どうでもいいことなのかもしれません。ただ、ひとつ言えるのは、物事を客観的だと判断するのは、結局はあなたの主観なのだということです。

だとしても、自分のいる状況を客観的にとらえることは重要です。特に感情に囚われた状態や悩みで頭がいっぱいの時は、客観視することで状況から抜け出すことが可能になります。このことについて詳しくは、“人間関係の悩みの原因はどこにあるのか”に書いています。客観視した状況を、結局は主観で捉えることになるのですが、それでも客観視という行為をするとしないとでは、あなたの精神の状態に雲泥の差を生みます。