そういう時、相手になんとか変わって欲しいと思うのが人情だと思います。
変わってもらうために、あなたはいろいろなことをして頑張ったり、けなげに長いあいだ待ったりしてきたかもしれません。
それでも、状況が変わらなくて悩むのは辛いことですよね。
「一体いつになったら、この人は変わってくれるのだろう?」とか、「子供が出来たら変わるかも?」と思ったりしますよね。
「このままでいいのか」とか、「なんとかしたい」と思う気持ちもよくわかります。
あなたがそのような状況を変えたければ、相手に変わってもらおうと努力するのではなく、自分を変えなければなりません。
自分の外の事を変えるには、自分の中から変えなければならないのです。
何故なら、私たちが自分の外にあると普段思っている世界は、実は自分の中にあるからです。
あなたが見ているあなた以外の全ての人たちも、あなたのなかにいるのです。
あなたが見ているものや人は、物質的にはあなたの外にありますが、それらの認識とそれらに対する感情は、全てあなたの中にあります。
これは、このブログで度々でてくる、観念の概念でもあります。
相手に変わってもらいたいと言うのは、相手に対してあなたに不満の感情があるからですね。
その感情はあなたの中にあり、外にはありませんし、相手のものでもありません。
だから、あなたのいきどおる感情を相手に分かってもらおうと説得しても、あなたの中で処理できない限りは、解決しないのです。
あなたの感情を、相手に伝えるなと言うのではありません。
話をすることは大事ですし、話さなければわからないこともたくさんあります。
でも、自分を変える努力を一切せずに、相手に変わってもらおうといろいろと努力しても無駄骨に終わる可能性が高いのです。
相手が変わってくれるのをどれだけ待っても、何もおこらないということになります。
自分を変えるとは、外見的なことではなく、内面的なことです。
相手に期待するのではなく、自分の見方を変えるのです。
観念を変えると言った方がいいでしょう。
観念が変わることで起こる結果は、今あなたが望む結果とはかけはなれた物になるかもしれません。
場合によっては、相手と別れることになるかもしれません。
あなたが内から変わることで、あなたの世界が変わるのですから、それも必然でしょう。
観念が変わるという事は、別人に生まれ変わるほどのインパクトがあります。
真剣に状況を変えたければ、現状に執着する理由はありませんよね。
今のままでいたいけど、相手に変わってほしいと思っているようでは、何も変わる筈がありません。
人間は、先ずは自分が変わろうとはなかなか考えられないものです。
「自分は間違っていない」、「自分はベストを尽くしているのだから、相手が変わるべき」と意固地になってしまいがちです。
そして、相手にわかってもらうために頑張ったりしてしまうのです。
それでも変わらなくて、どうしようもなくなってはじめて、嫌々ながら、自分を変えざるおえなかったりします。
実際は、自分が正しいも、相手が正しいも、どちらが間違っているもないのです。
最初から、自分が変わることを恐れずに、柔軟な姿勢で観念に囚われずにいられれば、どんなに楽になるでしょうか?
観念に縛られずに、自由自在に変化できたら、全ての悩みから解放されることが出来るのではないかと思ったりします。