無意識の比較
あなたは、自分が幸せか不幸せかと聞かれたら、何を基準に答えを出しますか?
周りと比べてという人が多いのではないでしょうか?
人は比較する生き物です。
私たちは、何かを買う時にも常に比較していますし、勉強でも、仕事でも比較はつきものです。
私たちは、無意識で日々、比較しながら生きています。
自分の理想の姿も他人と比較して設定していたりします。
比較して、「誰々があの位だから、自分はこの位を目指そう」と目標を設定して努力したりします。
また、「自分なんて。。」とか、「どうせ。。」とかいう思いも、社会における他者との比較によって、自分を劣った存在と位置づけているのです。
比較するのをやめたらどうなるでしょうか?
果たして、人間は比較するのをやめられるのかが疑問です。
もし、この世界に、あなた一人だけだったら、比較する対象もないので、比較する必要もなくなるでしょう。他者がいる限り、比較するのが人間の習性だと私は思います。
社会比較理論
この他者との比較によって自分を位置づけることを、心理学では社会比較理論と呼びます。
比較の対象となる特性は、社会的ステータス、外見的特徴、富、学歴、性格、人からの人気度など様々ですが、他人が持つその特性を自分の物と比較して、劣等感を持ったり、優越感を持ったりするのが私たち人間であるというものです。
ある分野で、自分より優れている人や、自分にないものを持っている人に対しては劣等感を感じ、そういう人たちのグループにいると落ち着かず、なんだか自分が嫌になったりするということが、あなたにもあるかもしれません。
また、自分より劣っているとあなたが思う人たちと一緒だと、優越感を感じる事ができて、そういう人たちといると心地よく、自信も出るということもあるかもしれません。
大抵の場面において、私たちは劣等感や優越感を感じながらも、あからさまに表に出さずに社会生活を送っています。
劣等感と優越感
劣等感は、それをバネにして目標に進もうとあなたの人生にプラスに働くこともありますが、自己不信につながり、劣等感を感じる状況から逃げるようになるとマイナスに働きます。
優越感は、自分が他者より優れていると思うことで自分の状況に満足し、自信を持つことにつながります。
勉強でも運動でも頑張ってあるステイタスを得た時は、つかの間の優越感に浸り、自分の達成したことに満足して、更なるモチベーションにつながるかもしれません。
しかし、優越感を持ちたいがために、自分より劣っている人たちのグループにいることを好むと、お山の大将の状態になり、そこにいる状態に依存するようになります。
この例として、自分が幸せでないと感じている人は、自分より幸せな人といるより、不幸な人といることを好む性質がみられるということです。
不幸な人の集まりにいた方が、優越感に浸れるのです。
こうなると、不幸な人としか出会わない負のスパイラルにはまって、運勢がますます下がっていきます。
劣っている、優れているの定義
劣等感と優越感について、他者との比較という行為がその根底にあるということを説明しました。
ここで認識していただきたいのは、他人が自分より優れている、劣っているという見方は、あなたの主観的判断だということです。
あなたが生活する社会の中で培ってきたあなたの観念を通して、他者とあなたを比較することにより、優れている、劣っていると考えているのです。
よって、優れていると見るのも、劣っていると見るのもあなたの考え方次第で、どうにでもなるということです。
次の記事は恋愛、夫婦関係における比較についてです。