占いなんて信じないとバカにする前に


占いは思考にまさる


対人関係で悩んだあげく、自分ではどうしようもなくなって、占いに答えを問うという人はたくさんいます。

悩んでいなくても、日頃から占いを活用しているという人もいます。

占いに聞くという行動は、自分で一所懸命考えて決断を下すよりも、利に適っていると思います。

何故なら、

  • 私たちの自我の思考から根本的な解決策を得られることは殆どないから、

そして、

  • 問題について論理的に考えても自分の観念の範囲でしか見ることができないから

です。

思考で得るゴミの様なアイディアより、占いで得られるアドバイスの方が、時に優れていると言えるのです。

占いというと、まゆつば物というようなイメージがあるかもしれませんが、語源を調べると、“うら”は心という意味もあり、裏という意味もあるそうで、占いとは“外に出ない心の裏を見ること”であるようです。

英語の占いを表す単語の“divination”には、“先を見る”とか、“神のインスピレーション”という意味があります。

ダジャレではありませんが、「占い」は「売らない」ものとされ、占いは、儲けに使うものではなく、真実を伝えるものという説もあります。

古代の叡智が示すパターン


私自身は、「占いなんか信じない」というタイプの人間でした。

しかし、日本だけでなく、様々な国の歴史と文化が占いという行為と密接に結びついていることに興味を持ち、占いについて調べてみることで考えが変わりました。

占いの多くは古代からの叡智として受け継がれてきたもので、色々な占いには、発祥地とシステムに違いはあっても、共通点が多々あります。

占いの多くは、数字、そして、図形や文字などのシンボルと関係があり、これらを使ってあらわされるパターンに、あなたのケースを合わせる形を取ります。

占いで代表的なのは、占星術ですが、生まれた時間、場所、星の位置などに応じて、決められたたくさんのパターンがあり、それの組み合わせであなたの事が占われるという具合です。

タロットは、最もポピュラーなものだと、78種類のカードに、数字やシンボル、絵柄などが複雑に組み合わされている訳で、カードの解釈は読み手の経験とスキルに大きく左右されます。

手相などは、線の長さや、数、位置で分けられていますね。

「運勢が決まったパターンであらわせる訳がない」とか、「事実は複雑なのに、星座とか、生年月日とか、字画とかで分けたパターンに当てはめるなんてナンセンス」と思う方もいると思います。

私も、以前はそう思っていました。

しかし、実は私たちの運命はパターンで表すことが出来るように出来ていて、複雑に絡み合う様々な要素の為に、パターンとして認識できないだけだとしたらどうでしょうか?

真実はシンプルなのだけれど、私たちに自我があって、思考があるが故に、本当はシンプルなパターンを複雑にしているだけかも知れません。

心理学者として有名な、カール・ユングは、アーキタイプ(元型)というものが、全人類に共通して普遍的本質として存在すると唱えました。

アーキタイプはプラトンが最初に定義した言葉で、感覚の世界は一時的で可変性のもので、永遠不変なものごとの本質は、型(パターン)やイメージだと言ったそうです。

カール・ユングは、タロット、易経などの研究をしていたことでも有名ですが、タロットの78のカードと易経の六十四卦も、アーキタイプと思われるパターンであることに気づいたそうです。

ユングの研究が示すように、不変な真実にアーキタイプがあり、パターンがあると考えれば、占いが真実とつながる為の道具であるという説は一理ありそうです。

占いという行為が、誰が発明し、いつから行われているものかというはっきりとした記録はありません。

誰が発明したものでもないのかも知れません。

占いは有用なツール


色々な種類の占いを試した方はお分かりでしょうが、種類が違う占いが出す答えには共通点があったりします。

同じことを違う方法で伝えているかのような。

これも、占いが人間の普遍的、または、本質的な部分を伝えるツールであることを諭しているのではないかと思います。

占いは、「くだらない」と無視するには、有用すぎると考えます。

特に男性は、占いをバカにし、男らしくないと考える人が多いようです。

それこそ、「男とはこういうものだ」という固定観念です。

最適な判断をするのに、時に思考は邪魔になります。

占いの結果は、思考とは関係ありません。

自我は、思考と違うことを信じたくありません。

占いを、馬鹿げていると取るのも、信じないのも、あなたの思考の作用なのです。

占いが当たるとか、当たらないとかも、自我の思考による判断です。

本当のところは、ただ単に、占いによって伝えられたことは、そういうものだというだけです。

占いを、楽しんで使えれば、豊かな人生を送る助けになるでしょう。

自分にとって、有用なものは取り入れればいいのです。

自分の直感が研ぎ澄まされて、確固たるものとなれば、占いに頼る必要はないかも知れません。

また、占いも、直感の一つの伝達手段であるという取り方もあります。

占いは、昔から伝わるシステムであります。

過去には、今以上に一般的に認められて、活用されていたことでしょう。

適正診断とか性格診断が表面的な自我レベルの思考的特性を表すツールだとすると、占いはもっと深い精神レベルでの本質を表すツールなのではないでしょうか?

占いへの依存


占いに左右され過ぎて、社会生活に支障を来たし、地に足がつかなくなる人たちもいます。

そういう場合は、その人は、占いに頼っている自分像に依存している状態にあると言えるでしょう。

そういう状態にあると、自分が何をしたいのかもわからず、自分が占いによって何を得ようとしているのかもわからないので、占いをツールとして有効活用するのではなく、占いに依存してしまうのです。

自分の存在に対しても迷いがあるともいえるのかもしれません。

多くの場合、占いに依存しているにも関わらず、占いで得たメッセージも、冷静に受け止められず、または、素直に認めたくなかったりします。

それでも、占いに問うという行為自体が心のよりどころになっているので、何度も何度も占いに問うということを繰り返すのです。

占いを信じる根拠がない


占いは、信じるも信じないも個人の自由ですし、信じなくても生きていけます。

信じる根拠が無いと思うなら、信じなければいいだけです。

人は根拠を求める時、論理的思考に制限されて、視野が狭くなっていることに注意してください。

どんなに説得力がある論理的な根拠の説明も、結局は説明する人の主観的意見でしかない(時に科学的データで武装された)ということを心に留めておくと、占いを信じるということに対して寛容になれるのではないでしょうか?

占いを信じない人は、“占いを信じない”ということを信じているのです。

もし、占いが一般的な学問として大学で教えられていれば信じることでしょう。

占いはうさん臭いとか言う先入観を捨てて、占いを人生を楽しむためのツールとして上手く使えば、思考に惑わされることを避けて最適な選択をする助けになるのではないかと思います。

信じる信じないではなく、楽しめるか楽しめないかのことだけなのかも知れません。