勝ち組、負け組の定義はあなたを惑わす社会の洗脳


あなたは自分を勝ち組と思っていますか?それとも、負け組と思っていますか?

「負け組だった私が、勝ち組に転身して年収が倍増」とか、「負け組女から抜け出して勝ち組男と結婚」とか、「勝ち組になる秘訣」とか、勝ち組と負け組に関しての話題が絶えませんが、いったい何を持って勝ち組とか、負け組とか言うのでしょうか?

勝ち組、負け組は二元論


先ず、勝ち組、負け組と言う時、そこには対象を優劣の2つに分けてみる二元論的な考えがあります。

二元論は全ての争いの根源であり、悩みの種を生む人間の習性でもあります。

ものごとに善悪をつけ、優劣をつけて自分と他人を分離する習性です。

宗教の中には、信仰する宗教外の人たちを悪、または、救われる必要がある人たちであるとして分離する二元論的考えを洗脳によって信者へ植えつけるものがあります。

勝ち組、負け組という考え方も、社会による、ある種の二元論的考えの洗脳であるととることができます。

人々が考える勝ち組と負け組の定義は、どこから来ているのでしょうか?

自分が勝ち組か負け組かを判断しようとする人は、メディアやネットで見た外部の情報をもとにしていることがほとんどです。主に、収入や物質的な富が判断の基準なっています。

それでも勝ち組になりたい? 


自分が勝ち組だと思いたい人は、勝ち組でいることにどんな意味があるのでしょう?

誰かが定義した勝ち組に当てはまっていれば、安心する?

自分の価値を認めるには、自分は勝ち組である必要がある?

他の大勢とは違うと言う優越感に浸りたい?

「年収いくら以上なら勝ち組」とか、「どの職業なら勝ち組」とか、「見た目のいい恋人がいると勝ち組」とかって、一体何なんですかそれ?

自分を勝ち組と思っている先生方


勝ち組になることを教えている、自称勝ち組代表の先生方もいます。

そういう先生からも、生きる上で為になるテクニックは学べるでしょう。

でも、勝ち負けで物事を判断するような狭い視野の先生に師としての魅力を感じますか?

勝ち組であることを売りにしている先生は、新しく生徒になる人達を負け組と見ています。

先生についてきて勝ち組になりましょうと、負け組だと自分を卑下する人を煽って商売しているのです。

自分が負け組であると説得されてしまった人は、勝ち組先生にある種のカリスマ性を見て、無知なフォロアーになり下がります。

自分のことを勝ち組だと豪語する人には、どんなにスキルある人でも、傾倒して師事するのは避けましょう。

自分を勝ち組と言っている先生方、滑稽すぎてイタイです。

勝ち組も負け組もない


実際には、この世には勝ち組も負け組もありません。そういう区分自体が存在しないのです。

勝ち組、負け組と最終的に判断しているのはあなた自身です。勝ち組、負け組はあなたの主観的なとらえ方でしかないのです。

例え、メディアが勝ち組と負け組を、年収や職業や物質的指標を使って定義したとしても、それに洗脳されて躍らされるのを自分で選ぶのはあなたなのです。

逆に言えば、周りがどう定義しようと、あなたが同調しなければ、勝ち組、負け組などという区切りはそこにないのです。

私たち人間には、元々存在しないものに自分を当てはめて、優越感に浸ったり、劣等感を覚えたりする変な習性があります。

しかも、自分が知っているだけの、非常に狭い範囲で認識している世界だけでそれを行っています。

誰かが言った勝ち組、負け組という線引きに自分を当てはめて、優劣を感じて感情的に反応することに、何の意味があるのでしょうか?

勝ち組とか負け組とかいう幻想に囚われることなく、現状に感謝して、今を楽しんで生きれば、それでいいのではないでしょうか?

他人がでっち上げた「勝ち組」「負け組」の定義に惑わされて、無駄な時間や労力を使うのはもうやめましょう。